"くだらない"の語源は聖徳太子の時代の
今現在半島に住んでいる朝鮮人は百済人の末裔ではない? |
信太(シダ)
姓は銚子と秋田に特に多く、それほどめずらしい姓でもない。 我が信太家は代々銚子で廻船問屋(江戸時代の商社)を営んでいた。
銚子にあった先祖代々の墓は、太平洋戦争時の米軍機による空爆の為、 歴史をさかのぼると百済の貴族?平将門の弟の血筋? 安倍晴明伝説にも、 古代史 志太義広 清和源氏 信太は珍姓か?
信太氏家紋 信太の小太郎 茨城県稲敷郡(明治時代に信太郡と河内郡が合併、霞ヶ浦南部)に由来する姓。 |
一人の老商社マンが、海外駐在5ヶ国 計20年、海外出張旅行先国
60ヶ国余の経験をもとに、
先天性健忘症進行防止の為 このHPを作りました。(2000年)
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- メコン河 Mekong -
Mekong 河はチベット高原の青海地域の源流点から約 1,880
kmは中国領内を流下する。 チベット高原からは深い峡谷状の地域を流下するので平地部は少ない。 Mekong 河は中国名で Lancang
River と称されている。 ランチャンはラオスに国境を接する西双版納のタイ族の言葉で百万頭の象と言う意味で、ラオス語も同じ。
中国領を離れる地点での Mekong 河本流の標高は約 490mとなる。 中国を離れた後、205kmにわたってラオスとミャンマーの国境線上を流下し、その後ラオスとタイの国境を流下することになる。
Mekong 河はラオス領に入ってから南シナ海に注ぐまでの 2,345km の間、ラオスの高原部から平野部を流れ、ラオスとタイの国境線上を流下し、カンボジアの平原を貫通して、ベトナム領内で巨大なデルタを形成している。 カンボジアの中央部に水量調整池の役割を持っているトンレサツプ湖がある(アンコールワットはこの湖の北東部に位置する)。
中国雲南省は国境を接しているミャンマー、ベトナム、ラオスとは国境貿易が可能だが、タイ、カンボジア等との重量物の輸出入は1000km離れた港を利用せざるを得ない。 バンコックとの間に毎日2便以上フライトがある。
中国No.1のゴルフ場が昆明にあり (シンガポールの投資) 台湾、香港、シンガポール、タイよりゴルフ観光客が多数来ている。 昆明には既存二ヵ所、建設中のゴルフ場が二ヵ所ある。 雲南省内には地方も含め合計9ヵ所のゴルフ場を作る計画が有る。
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CHANTY リンク集(タイ)
雲南 - "西南シルクロード"
雲南は1253年に元のフビライ軍に攻め込まれる以前はタイ族、白族、イ族等の
(現在東南アジアにもいる人種を中心とした) 少数民族の国だった。 今のタイ、ラオス、ミャンマーに住んでいる人々の先祖は以前中国に住んでいた (南下しなっかた先住民族の子孫が雲南省の少数民族となっている)。
カンボジア人の先祖はタイ族より早い時期に雲南より南下したはフーラン族。 最初の漢民族による侵攻は、蜀の諸葛孔明による雲南遠征 (蜀221-263)。 その時の七擒孟獲
(以攻心為上)は三国志にも出てくる有名な話。
元は行政官として賽典赤(回族) を派遣したが、漢族の移住はあまりなっかた。
明の時代になり 行政官 呉三桂(漢族)を派遣し"軍屯商屯改革"を行い、漢族の大規模な強制移民が始まる。 現在の昆明語が明の時代の官僚の言葉(明官話)に近いのはこの為。 清は行政官 鄂爾泰(満族)を派遣し改土帰流改革を行う。
* 明の時代の冒険家として有名な 鄭和 (馬三保; 回族)は雲南省昆陽の出身。 1405年明・成祖の命により28 年間 7次遠航(台湾,ベトナム,スリランカ,インド,ジャワ,スマトラ,アフリカ東海岸,紅海地域等30数カ国)。
* 大戦中は、アメリカがインドからミャンマー経由、雲南省の蒋介石政権に軍事物資を送り込んでいたので、これを断つ為の"断作戦(援蒋ルート)"を行い玉砕している:ビルマ方面軍第33軍
本多政材 司令官(中将)
・拉孟守備隊(−'44.6.2) 玉砕(2,170名)−第56師団金光小佐(98日間)
・騰越守備隊(−'44.9.14)玉砕(2,025名)−第18師団蔵重大佐(79日間)
−雲南遠征軍(49,600名) 衛立煌総司令長官(大将)−米国軍事顧問団 飛虎隊・陳納徳司令
インパール作戦: ビルマ方面軍第15軍(−'44.6.26) 牟田口廉也 司令官(中将)と同時期の悲劇。